一般社団法人  ことばの診療所

褒められたいから褒める人。

自分のことを認めてほしいから、相手のことをまずは褒めてどうにか自分に関心を向かせようとする人っているんです。
裏側には「あなたもすごいですね、がんばっていますね」と言われたい気持ちが隠れてて。

いろんなイベントやセミナーに行くと「そんなことやっているんですね、素敵ですね」と言われることがあります。
本心で言ってくださる方もいますし、とりあえずの社交辞令で言われる方もいます。まあ、その動機はどちらでもよくて。
褒めて下さったという事実に対して嬉しいな、ありがたいなと思いますし、大抵は「ありがとうございます」ってお伝えして終わるのですが、時々「あ、この人自分についてなにか言ってほしいから褒めてきたな」って方がいます。

なんでしょうね。「いいですねー」の後に間があるというか、何かこちらがコメントを返すのを待っている姿勢というか。「なんか言って!」というようなオーラがビシバシ伝わってくるときもあるし、とりあえず適当に褒めとこうって感じもあって。

で、この方は何かコミュニケーションを取りたいのかな?と思ってお話し聞いて「○○さんもこんな素敵なことがありますね。」と伝えたところで「いやいや、私なんか。」と否定をして、「やっぱりあなたはすごいです。」と返ってくるわけです。

すごくしっくりこないんですよね。
ことばのキャッチボールしている筈なのに、なんか全くボールが受け止められない感じ。
口下手な方が謙遜している可能性も考えてみましたが、それとも違って。
スカッスカッてボールが深い穴に吸い込まれていくイメージ。

この感覚に気づけるのって、私も前そうだったからかもしれません。
社会人になりたての時に自分のいいところが全く分からなくなって、なんとかその穴を埋めたくていろんな人に出会ったことがありました。
もう8年くらい前ですね。
必死に、出会う人出会う人に本心から思っていないのに「〇〇さんすごいですね」っていう訳です。
その裏には、「いやー若いのにしっかりしているね」とか「すごいって言ってくれる君なら××を紹介したい」なんて認められたい気持ちがあって。

ただ、そんなうまく返してくれる人はいないんですよね。どんなに必死に「すごいですよね」と言っても「ありがとう」で終わるわけです。
こちらには関心が全く向かないんですよね。次に会っても忘れられている。
結果、言えば言うほどむなしくなってきたんです。心の底から思っていないので、自分のことば自体、空虚に感じてきてしまって。すごくつらかった。

ある日「あ、無駄なことしている」って気付いて。
それからは本当にすごいなと尊敬できる人。自分にないもの持っているなと感じる人。頑張っているなって思う人にだけ、その気持ちを伝えることにしました。
そうしたらまた少しずつ自分のことばが好きになってきたんです。

で、いま逆の立場になることも少しずつ増えてきて、やっぱり心から褒めてくれる人と、そうでもない人ってわかるわけです。
表情やどんなことばを使っているかとか、その後の対応とか。
心から言って下さる方とは話が盛り上がったり、何かしらでご縁が繋がりますし、社交辞令で言われた方とはその後何もつながらなくて。
まあ、そんなものなんだろうなーと受け止めています。

この経験を活かしてセッションでも適当な「おめでとう」は言わないようにしていますし、
今なら、「自分を満たすために誰かを褒めるのって後々しんどくなるし何も生まないから、やめた方がいいよ」と昔の自分に言えるなーって。

プロフィール

村田 悠
一般社団法人ことばの診療所 代表
ことばを編むことが大好きな「おめでとうソムリエ」

大学時代、言いたいことはたくさんあるのに、自分でその想いに気づいていなかったり、うまく表現できていない後輩たちのスピーチ原稿に多数出会う。 そこから、相手が本当は何を言いたいのか、どうやったらその想いが伝わるのかを引き出すことが面白くてたまらなくなる。 中でも、「そう、それが言いたかったんです!」と笑顔になる瞬間がものすごく好き。

社会人になってからも営業で取引先を回るなかで、どんな想いで商品/作品を作っているのかなどその方のバックグラウンドを聞くのが楽しかった経験から、 現在のセッションにも、その引き出す切り口を多数使用。
「相手を思って色々と考えてくれるのが本当によく伝わります。」「言葉選びも早くてまた出てくる言葉もいい言葉たちばかり!! 話を聞く力や質問力もすごい。」「新しい視点を提示してくれるので『じゃあ、私はどうなんだろう?』と落ち着いて考えることができた。」と評価頂いています。